経営者と雇用者の決定的な差はどこにあるの?

たまに求人等で見かける、裁量権が広い、といった宣伝文句。新卒向けの採用広報では全員が社長、といったものまで見かけることがありますね。

ですがどういうわけか、実際に雇われの身になってしまうと考え方が変わってしまうようです。ほとんどの社会人はこの違いに全く無自覚のまま、いつの間にかやり甲斐に欠けた人生を歩むようになってしまいます。

この違いはなんなのでしょうか?
一体どこから生まれるのでしょうか?いわゆる経営者の人たちとは何が違うのでしょうか?

これで貫き通す!という突破力に違いが出る

社長やるような人々と、雇われて何かをする人は最大の遅刻が突破力だと筆者は考えています。これは個人の力量俊典突破力と言うよりも、総合的な戦闘力としての突破力に近いです。

あなたが何かの会社に雇われて、仕事をするとします。雇用契約にせよ、業務委託にせよ、このような役割を期待している、といったものを最初から設定されており、それに沿うことが求められるのです。この期待に沿うように毎日苦心しているうちに、いつの間にか自然と自分が役割を果たすと言うことが価値基準になってしまうのです。

一方で社長業は他人から評価されることが目的ではありません
「会社が持っているビジョン」や「組織が活かせる理想の姿」を現実にするのが経営者の務めです。そこには他人から評価されるのではなく、自分やその会社のビジョンを現実に持っていく、という能力が必要とされるのです。 つまるところサラリーマンは他人から評価されるのがゴールですが、経営者はビジョンという自分(たち)がやりたいことを現実化させるのがゴールです。

社会人たるもの、他人から評価されてこそ務めが果たせるものだ、と言われて育った人にはいきなり社長業をやるとこの壁が立ちはだかります。

この姿勢の違いが顕著に出るのは前述の突破力です。雇われの身の場合は、他人から言われて想定できる範囲内で物事を作り出すのが評価の基準になっています。経営者が求められるのは周囲から期待されていない現実を変えることです。つまり経営者は現実と立ち向かわなければならないのです。

そして経営者はありとあらゆる手段を使ってこの現実に立ち向かおうとします。会社の規模によって違いますが、数千万から数千億もの資金を投入して現実を変えることもあります。雇われの身では、こんなことができません。許可を取るのが精一杯です。

あらゆる手段を取ってもこれを変えたい、こそ経営者

真の経営者は自分たちがやりたいことに対して極めて正直です。自分の財産や人生までなげうってでも、その現実に立ち向かおうとします。いわゆるサラリーマン社長ができないのがこれです。

そして人生をかける姿こそが人を惹きつけるのです。基本的に人間は利己的にできているので、自分の貴重な人生の時間を簡単に見知らぬ誰かに対して投げ売りすることはしません。ただし、経営者が自分の人生を投げ売りしてでもやりたいことを達成しようとしている姿を見ると、自分の人生をかけてもいいのかな、と言う気分になるわけです。何かの取り組みを人と一緒にやっていくことの本質はここにあります。

ここができていないとあなたは経営者ではなく、雇われの身やアルバイター向きと言うことになります。

もちろん、雇われの身やアルバイター向きであることが悪い、と言っているわけではありません。悪意のある言葉を使ってしまいましたが、人間には向き不向きがあります。単に向いていないのであれば、
別の分野で勝負すれば良いだけです。この世の中にはあなたがいろいろな勝負をできる度量の広さがあります。副業で稼ぐと言うのもその勝負のしどころの選択の1つです。

社長と雇用者の決定的な違いは突破力

いかがだったでしょうか。いわいる経営者とサラリーマンの違いを一緒になりにまとめてみました。
ここにはいろいろな捉え方ができると思いますし、もちろん違うんだと言う意見もあるでしょう。もし自分がこうだと思っている、という持論のある方はコメント欄にどうぞ。皆さんと交流できるのを楽しみにしています。